友禅の祖 宮崎友禅斎
元禄9年版の「人倫重宝記」には、ゆうぜんと題して暖簾の中に法師体の男が扇面に揮毫している挿画があり、「友禅扇はちかごろの名物、地紙ひろく骨太く、かの法師が物づきの自画、知恩院門前に身をすぼめ名を諸国にひろげたるは三条新町大扇屋の石州扇によりまさりて人の知りたる扇」と記されています。
「扶桑画人伝」によると、「京都の人なり染物を業とす。後加州金沢に移住して専ら織業を研究し遂に一家の風を興して友禅染と称誉す。之より画を巧にして頗る妙手なり、絹本に染物絵を写して其精密なること他人の及ぶ所にあらず」と紹介され、「人名辞書」には「友禅は染工に非ずして画僧なり、専ら扇画に花草等を画き世の求めに応ず婦女喜びて其扇を用ゆ、故に染工其画を請うて以って模範となし一種の染法を発明せり、これを友禅斎の名のある所以なり」とあります。 |
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加賀友禅 訪問着
松井眞夫 作
『道長取りに名物裂』 |