加賀友禅
加賀友禅
京都の京友禅、東京の江戸友禅とともに「日本三大友禅」のひとつに数えられる加賀友禅は、江戸元禄のころ、宮崎友禅斎より始められたと言われています。
加賀には、前田利家の入場前の桃山時代から江戸初期にかけて、既に200軒の紺屋があったとされ、藍染を主とした紺屋、紅や茜を主とした茜屋があり、加賀のお国染めとして種々の染色がなされていました。その後それらの染色技法に色絵・色絵紋の技法が加わり、加賀藩の文化振興政策の庇護のもと加賀友禅が大きく開花していきました。
宮崎友禅斎は知恩院の門前で扇画を描き、その雅びやかな趣きと作風が時の流行となりました。はじめは扇子の絵を描く扇工でしたが、それを基盤に染物の絵師としても手を染め衣裳ひな型の出版などで友禅染への道が開拓されると小袖にも流行する友禅柄と世間から喝采を受け流行界の寵児となります。
金沢に居を移してからは、御用紺屋棟取の太郎田屋とともに、在来からの加賀染に意匠の改善や友禅糊の完成など輝かしい加賀友禅の第一歩を踏み出しました。
多くの偉業を残し、後に僧籍に入り元文元年6月に83歳で他界しました。
加賀友禅は加賀百万石の武家文化の中で育ち、人間国宝に指定された木村雨山をはじめ、多くの名工が生まれ著名な作家を輩出してきました。
今現在も若手を含め多くの職人が、加賀友禅の持つ伝統ある風格と美しさを保存し継承しようと努力し創作活動を行っています。
加賀友禅の特徴
もとより「友禅」とは「糊で防染をして隣り合う色が混じらないように色を挿すきものの模様染の技法」の意味であり、その技法の創始者であるといわれている宮崎友禅斎の名に由来します。
また、手描き友禅はその模様の輪郭を成すための糸目糊、そしてその染上がりの後の白くて繊細な線が最大の特徴であり美しさの生命線とも言えます。
現代の加賀友禅は、作家によっていろいろな雰囲気や特色を持った作品が作られています。
また、加賀友禅の独特の文様、色彩の特徴を模し、一部技法を省略し合理化して廉価に量産されているきものは「加賀調」と呼ばれ、加賀友禅とは区別して扱われます。
京友禅が金彩や刺繍を施すのに対し、加賀友禅は手描きの染めだけで仕上げるのが大きな特徴といえます。
<加賀五彩>臙脂・藍・黄土・緑・紫 五色が基調
<先ぼかし>外側を濃く中心に向って淡くぼかす技法で、京友禅はこの逆で内側を濃く外側を淡くぼかす
<虫喰い葉>木の葉に小さな穴や墨色の点を描いたもの
加賀友禅の制作工程
① 図案 | 写実的な草花模様を中心とした絵画調であり、武家文化の落ち着いた趣があるものが多い。 |
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② 下絵 | きものの形に仮縫いをした白生地に、青花という露草の花の汁で下図から模様の輪郭を写して描く。青花は水で濡らすと散って消える。 |
③ 糊置 | 下絵の線に沿って、筒から糊を搾り出しながら白生地の上に糊を置く。この糊を糸目糊といい、彩色の際、外に染料が浸み出さない防波堤の役割をする。 |
④ 彩色 | 加賀五彩といわれる伝統の色を基調とし、筆と小刷毛を使って行う。 |
⑤ 中埋め | 地染めをするための準備工程。引染めをする際に彩色した模様の部分に地色が入らないように、もち米から作ったやわらかい糊で模様全体を埋める。事前に下蒸しをする。 |
⑥ 地染め | きもの全体の地色を、大きな刷毛で手早くムラなく引く作業で「引染め」とも言う。湿度や刷毛の力加減に大きく左右されるため、高度の熟練を要する。 |
⑦ 蒸し | 引染めによる地色が乾いたら、蒸気の箱の中に反物を入れ数十分蒸し、生地の表面にあった染料が膨張した繊維の組織に入ることで染色を定着させる。 |
⑧ 水元 | いわゆる「友禅流し」である。以前は浅野川や犀川でも見られ、金沢の街の風物詩となっていたが、現在はそのほとんどが水温・水質の安定した人工川で行われている。 |
⑨ 仕上げ | 水元後は、乾燥・湯のしの工程を経て、染色補正をし、加賀友禅が完成する。 |