花嫁のれん
「花嫁のれん」は、幕末から明治時代初期の頃より加賀藩の能登・加賀・越中にみられる庶民生活の風習の中に生まれた独自ののれんです。
それは花嫁が持参する嫁入り道具の一つであり、実家の家紋が二つ染め抜かれた華やかな花嫁のれんは花婿の家の仏間の入り口に掛けられます。玄関で合わせ水の儀式を終え、両家の挨拶を交わした後、花嫁だけがのれんをくぐって仏間に入り、先祖のご仏前に座ってお参りをしてから結婚式が始まるというものです。その後花嫁のれんは新婚夫婦の部屋の入り口に掛けられ、三日目にお部屋見舞いの仲人や親戚の女性が集まり、花嫁持参のお道具や衣裳のお披露目の時に華を添えました。
現代では、風習・しきたりを重んじる地域の旧家や石崎奉燈祭等の祭礼時には欠くことのできないものとして、その家々にて大切に受け継がれています。
結婚式当日の朝、婚家へ向かう前に花嫁は実家の仏壇にもご挨拶をします。その時には、箪笥に眠っていた数十年前にその家に嫁いできた母の花嫁のれんが掛けられ、母の花嫁のれんをくぐって縁側から出ます。縁側であるのは、玄関は出入りをする場所なので「出たり入ったり」をしないように、という意味があります。
母ののれんは娘に持たせるのではなく、その嫁いだ「家」に代々受け継がれていきます。花嫁のれんは「もう後戻りはできない」という女性の決意ののれんなのです。
花嫁が竹筒に入れて持参した生家の水と嫁ぎ先の水とを、玄関先でカワラケ(素焼きの杯)に同時に注ぎ入れます。花嫁がその水を飲んだ後、二度と繰り返さないようにとの意味合いから、その杯は仲人夫人によって地面に打ちつけられ割られます。
「のれんが風になびくように、婚家の家風に早くなびき(馴染み)ますように」との意味が込められており、また、仏壇に参る前にのれんをくぐることによって頭についた穢れを払う、ともいわれています。
ほかのどんなお道具が用意できなくとも花嫁のれんだけは必ず持たせた、という時代もありました。実家の家紋が大きく染め抜かれたのれんは、慈しみ育てた嫁ぐ娘の幸せを願う両親の心です。
七尾近辺の能登地域では今も脈々とこのしきたりが残り大切にされていますが、花嫁のれんの発祥の地である金沢をはじめ都会化した地域から、その風習は薄れて少なくなってしまったのが現状です。
その一方で、結婚式場で列席者にお披露目をしたり、披露宴会場に飾り華を添えたり、新郎新婦の入場時に花嫁のれんをくぐる演出が取り入れられるなど、異なった形でこの風習が見直されつつあります。
花嫁のれんを所有している人の多くは、嫁入り時の仏壇参りに使ったきり箪笥に大切にしまったまま一度も出していないことがほとんどです。
七尾・一本杉通りでは、「こんなに美しい花嫁のれん、しまいっぱなしではなく年に一度だけみんなで飾ってみてはどうか」という商家の女将さんたちの声掛けで、2004年より毎年春に『花嫁のれん展』を開催しており、県内外から多くの方が花嫁のれんを観に訪れています。花嫁のれん展をきっかけに風習に関心が向けられ、また、幾つもの出会いやご縁が生まれ、花嫁のれんが人と人とを繋ぐ架け橋となっています。
本来は仏壇参りという内なる空間で行われる風習のためのものですが、時代の変化とともに失われつつある「風習・しきたり」は、形を変えて、時に親子の絆を深め、時に人と人の想いやご縁を繋ぎます。
催し | 『 花嫁のれん展 』 |
とき | 毎年 昭和の日(4/29) ~ 母の日(5月第2日曜)迄 |
ところ | 七尾・一本杉通り |
みどころ | 通りの商家や民家に合計150枚 以上の花嫁のれんが飾られます。 それぞれの花嫁のれんに込められ た想いや柄の意味合いなどを感じ ながら散策してみませんか。 5/3、4、5は七尾最大の祭り 「青柏祭」も開催されています。 |
(別誂え制作事例)
凛屋では、花嫁様の想いを込めた世界に一枚だけの特別な花嫁のれんの御誂えを承っております。
ご家族様の願いや花婿様との思い出、花嫁様ご自身のアイデンティティを表すモチーフなど、花嫁様だけのストーリーを紡ぎ、心を込めて制作しています。